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ある事に対して1つの個で認知する時、言語化が出来ない部分が存在する以上、情報量は
理解>解釈、全体知=暗黙知>形式知
となる前提で話を進めている。
さて、「二次元の知」は個2人による知の共通知となるため、形式知同士の共通する部分を取っている。
つまり知1と知2の情報量のどちらが大きいかは比べないとしても、
事1の暗黙知>個1の形式知or個2の形式知>共通知1-2
といえる。
集合知において、集合を構成する個の人数が多ければ多いほど、情報量は少なくなっていく。
ある事を考える時、属している集合における集合知の部分を「理解」することで、 「少なくともその集合からはそう遠くない解釈」を行えるといえる。
個人的にだが、先の冠婚葬祭マナーなどはそのような部類に入るとは思える。
つまり二次元の知を理解することで、単体での解釈による一次元の知よりも許容されやすい解釈を行うことが出来るということである。
理解による暗黙知は事に含まれる情報量がそのまま含まれる。
一方で形式知は、個の形式化の能力や過去に理解した知により情報量が変動すると考えられる。
この時の形式知の情報量を「許容量」とする
ここで情報量が少ないと何が起こるかを考えてみる。
許容量には個により差はあれど、限界が必ずあり、言語化出来ない部分が含まれる以上は暗黙知の情報量よりも必ず下である。
一方で二次元の知についてはそれぞれの個の形式知の共通知となる。
十分に情報量が少なくなった知を事として捉えると、 解釈と理解に差がほとんどなくなるとも言える。
より抽象的に、事1を個n人の集合が解釈した時の集合知を、ある個が事1'として捉えるとする。
この時事1’の情報量は事1の形式知の情報量よりも小さくなる。
例として、ある問題についての情報量と「そもそもこの問題は」で考えた時の情報量は、「そもそもこの問題は」と考えた方が大きい事などが挙げられる。
話を戻すと、解釈には許容量が関係するという話であった。
許容量は個により変動するが、十分に情報量が少なくなる事で、この変動量は少なくなる。
言葉の定義を一旦破棄してあくまで端的にいえば「理解力がそんなになくとも理解できるようになる」といったところ。
つまり、集合知は個の許容量によらずに事1の適切な範囲を定めるのに役立つということである。
「学校の勉強」などで考えてみるのが良いかもしれない。
例えば、一つの大きなかごにりんご3個入れたあと、りんご6個を入れた時、このかごにはりんごは何個入っているか?という算数の問題があるとする。
この時、実際にやってみて数えたり、想像したりして9個と導き出すことはできるかもしれないものの、瞬時に「3+6」と何もない状態から足し算について定義してから9個を導き出すような解釈は、ほとんどの小学1年生には無理だろうと言える。
しかし、授業で足し算という物があってこういう時に使う、と教われば足し算をすることは可能である。
物を増やす、合わせる、加算する、という事よりも「足し算」という事の方が情報量が少なく、足し算を使って前述の物を増やす、合わせる、加算する、といった事も解釈しやすくなってくるという話でした
ある事に対しての個1人の解釈の範囲が一次元の知、この一次元の知を複数人の集団での集団知が二次元の知と定義した。
情報量が少なくなる際の例えで事1'という表現は使ったが、そもそもここまでは同じ事、事1に対しての認知の話であった。
では事1についてのn人の集合の集合知と、事2についてのn人の集合の集合知は共通する部分があるだろうか?
あるとは思うけど具体的な説明が出来ない(暗黙知)
強いて挙げるなら「物理法則」とかがそうなのではと思う。
特に例のアインシュタインの式とかはそうなんじゃないかなって思う。
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