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以下のようなこと、身に覚えはありませんか?
今回は色々考えてたら理解/解釈/知といった事を、可能な限り考えてみたら何となく道筋が見えてきたのでそのメモ書きをそのまま残します。
今後どう過ごしていくかのヒントになるかはわかりません。実用性は一切省いています(この手の話の実用化は個人的にあまり興味がないので)
とはいえ色んな論文があり、実用化されている分野なので、 とっかかりのヒントとして使って頂けるのはとても嬉しいです。
逆にここは違くない?と言われて「確かに!全然違うじゃんね!」の方を期待しているので、 もし気づいたらこっそり、あまり威圧的にならずに教えて頂けると嬉しいです。
なお、これ以降はメモ書きなので文体が安定しません。 基本的にはですます口調ではなくなります。
また、図を用意したほうがわかりやすいとは思いながらも、面倒くさくなってしまったので省いています。
反響があったら頑張るかもしれません。
お手柔らかによろしくおねがいします。
ある抽象的な問題がある
これを「事」と呼ぶことにする
さて「理解」とはなにか
「事」について言語化せずそのまま受け入れることを「理解」と呼ぶことにする
「解釈」とはなにか
「事」について言語/式/図などで表す。つまり他の個(後述)への伝達を目的とする
この「理解」「解釈」をまとめて「認知」と呼ぶことにする
ある「事」を「認知」すると得られる物を単に知、あるいは「全体知」と呼ぶことにする
とくに、ある「事」を「理解」するときに得られる知を「暗黙知」
ある「事」を「解釈」するときに得られる知を「形式知」と呼ぶらしい
→このあたりの話はマイケル・ポランニーの「暗黙知の次元」って本と似てるらしいので、ネーミングセンス寄せてみた
つまり「解釈」は「暗黙知」の「形式知化」とも呼べる
以降「事」には解釈、つまり形式知化出来ない部分がある前提で考える。
そのため原則として知に含まれる情報量は
「暗黙知」>「形式知」であり、
得られる情報量は「理解」>「解釈」となる
以降、「知」と表現する場合は「形式知」を意味する(「暗黙知」と明言する時を除く)
一人の人間を「個」と定義する
※人間でなくてもよいけどわかりやすいので。以降個の単位は人とする
解釈には前提として知が必要である(後述するけどなんとなくわかって)
解釈を行う時点で保有している全体知は個により違うため、
同じ事を解釈しても個により知の内容が変わると言える
ある事(事1)をある個(個1)が解釈した知を「知1」とし、同じく事1を別の個(個2)が解釈した知を「知2」とする。
同じ事1に対しての認知なので個1の暗黙知と個2の暗黙知は同じ内容である。
但し、個1の解釈と個2の解釈には差があり、知1は知2と共通する部分もあるが、基本的には別のものとなっている。
この2つの個の知にそれぞれ共通する部分を「共通知」と呼ぶことにし、個1と個2の共通知を一旦「共通知1」とする
個が複数いて、同じ事(事1)をそれぞれの個が解釈する場合を考える
個1の解釈した知を知1、個2の解釈した知を知2、・・・
つまり個nの解釈した知を知nとする
知1と知2の共通知を共通知1-2、知2と知3の共通知を共通知2-3、・・・
つまり知aと知bの共通知を共通知a-bと表現する
個が複数ある状態を集合と呼ぶこととし、今回のケースは個n人の集合、わかりやすく「集合1」とする
さて、これらの共通知全てに共通する部分を考えてみる
量こそ多いものの、そもそも同じ事1を解釈している限り、共通する部分は存在すると一旦仮定する。
→どんなに極端にズレても少なくとも「事1」を解釈したという事実は共通しているため
この集合内の共通知全てで共通している部分を「集合知」とし、集合1の集合知を「集合知1」とする
集合知は少しわかりづらいため具体例を考える
例えば、一般的に「葬式に赤いスーツで行くのはマナー違反」だと思う。
本当にそれが正しいのかという問題は一度おいておいて、多くの日本人は「黒い服が望ましい」認識である。
これは一般的に「冠婚葬祭のマナー」と呼ばれるものである。
※ディレクターズスーツとかは一旦置いといて
この場合の「葬式における服装」を事とした時、「故人を弔う時の服装は・・・・・・」という故人と個との共通知に差はあれど、日本人という集合の集合知として「黒い服が望ましい」があると言える。
つまり母数は違えど集団内における「マナー」「ルール」「常識」といった物は集合知とも言える。
ある個と故人とだけ唯一共通知の情報量が多く「赤いスーツでも良い」となろうとも、故人の葬式にその個が赤いスーツで行ってしまうと、参列した他の個の知とは共通する情報量が少なく、許容されないと思われる。
知は点ではなく範囲での指定では?という仮定のためにまずは連続性を示す。
集合知での具体例では
例えば、「葬式に赤いスーツで行くのはマナー違反」だとする。
本当にそれが正しいのかという問題はおいておいて、多くの日本人はその認識である。
と書いた。この例をそのまま使う。
集合の規模を葬儀に参列する人数に絞った時、宗派や形式、もしかしたら黒い服装が嫌いという場合もあるかもしれない。
ここには幅があり、必ずこの服装でなければならないという「点」での条件は無い事を示す。
「葬式における服装」を事として解釈する時、集合知(マナー)としてかなり範囲の狭い「黒い服が望ましい」という知があるとする
この場合「黒のスーツが無かったから紺のスーツで来た」という場合を考える。
ある個の解釈では「黒い服、つまり暗い色が望ましいから、まあしょうがないのでは」と許容するケースがありえる。
一方で別の個の解釈では「黒い服、つまり彩度の無い色が望ましいから、グレーの方が良かったのでは」と許容しないケースもありえる。
また「黒い服以外はダメ」と解釈する個も存在しうるが、この場合でもそもそもどの条件で「黒」とするかは個により違う。
つまりある程度の区切りや方向性を決めることや、範囲の広さというものはあれど、 上限と下限の間は連続しているとも言える。
この事からある事の個による解釈は「事に対して範囲を定める」行為と言える
知の連続性の話から、ある事の個による解釈は「事に対して範囲を定める」行為と言える
事の情報量のみを軸に範囲を示している事から、個による解釈に生まれた知を一次元の知とする。
個が3人いる集合を考える。
この時共通知1-2,1-3,2-3の3つが取れるが、この集合知を求めるということは「共通知1-2」と「個3の知」の共通知とも取れ、「共通知1-2を個3が解釈する」とも見ることが出来る
つまり集合知は共通知ともいえ、共通知は「事」とみなせると言える。
この時の「個3の解釈による知3」は「事に対して範囲を定める」尺度の他に、共通知1-2、共通知2-3の情報量のどちらが大きいか、つまり「知1と知2のどちら寄りといえる解釈なのか」という尺度が生まれる。
そのため、単体の個による知を一次元の知と呼ぶのに対し、 共通知/集合知については二次元の知と呼ぶこととする。
共通知では事1を解釈した時の個2人の知の共通する部分であった
集合知では事1を解釈した時の個n人の知の共通する部分であった
つまり共通知は個2人の集合知とも言える。
→二次元の知の定義の時の逆の話
では、あるn人の集合を集合1、別のn人の集合を集合2とした時
集合1が事1を解釈した時の集合知1、集合2が事1を解釈した時の集合知2が存在する。
この時の集合知1と2の共通知を考える。
事1について解釈している以上、共通する部分の範囲は必ず存在している。
但しその範囲は確実に狭い物となっているようにも思える。
そして、n人の集合がm個あった時のそれぞれの共通知を考えることも出来る
あえて呼ぶなら世界知とでも呼ぶべきだろうけど、もうあまり言葉を定義する意味は無いので省略する
しかし、ここまで来てもあくまで比較する個が増えただけなので二次元の知である。
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